略歴-1979/ 1980-1983/ 1984-1985/ 1986/ 1987-1988/ 1989-1990/ |
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略歴1963年大阪生まれ。
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1963年 |
[9月]大阪市城東区で生まれる。 |
1964年 |
[2月]兵庫県伊丹市に転居。以後、高校卒業まで在住。伊丹市立稲野小学校・伊丹市立西中学校・兵庫県立伊丹高校で学ぶ。小学校4年くらいからクラシック音楽(ベートーベンの交響曲など)をカセットテープで繰り返し聴くようになる。 |
1976年 |
[4月]中学の音楽の授業で初めてギターにふれる。昼休みや放課後も音楽室に行って練習するほど興味を持った。[7月]伊丹市内のギター教室に通い始める。北田幸男先生の指導により、カルカッシギター教則本を中心に、当時中級者によく弾かれていた曲に取り組む。それまでギターというと、エレキかフォークか演歌というイメージしかなかったので、クラシック音楽を奏でられるといううれしさは大きかった。ギターは、76年に当時で定価1万円の国産普及モデル購入、78年からは定価5万円のモデルを使用。 |
1979年 |
[1月]第1回ジュニアギターコンクール(大阪)で、中学生の部銅賞。演奏曲A.Mudarra/Fantasia高校進学とともに近藤敏明先生の指導を受け始める。Jose Ramirez(1978年製)を購入。 |
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1980年 |
[1月]第2回ジュニアギターコンクールで、高校生の部金賞。演奏曲S.L.Weiss/Fantasie高校2年の時、校内の体育館で行われた演劇鑑賞会のあと有志座談会に参加し、来演のプロの劇団員の発言に感銘を受ける。教科では物理と数学が得意だったが、音楽を進路として具体的に検討するきっかけとなった。 |
1981年 |
[6月]第8回ギターコンクール1位なしの2位。このあと、第一の関心が大学受験の方に移り、約1年間あまりギターを弾かず。 |
1982年 |
[4月]京都大学工学部に入学(後に中退)。ギター部に入部し、大学内外の演奏会に参加。
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1983年 |
[6月]第10回ギターコンクール1位。演奏曲J.S.Bach/Fuga、F.Sor/Variations sur l'air de Mozart Op.9、J.S.Bach/Prelude, Allemande, Gigue(Suite for Lute T)など。
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1984年 |
[2月]Universite Musicale Internationale de ParisにてMichel Sadanowsky先生の指導を受ける。1985年6月までの1年半で3年分の教程を終え、5回ほどあった実技試験ではすべて受験者中最高得点であった。パリ第16区のAvenue Mozartの近くに下宿。Victor Bedikian氏製作の楽器を購入し、H.Villa-Lobos/12 EtudesやJ.S.Bach/6 Suites pour violoncelle seulなど毎日長時間練習していた。[6月]Theatre Municipal de Paris主催のFestival International d'Orchestre(8日間、この年は第2回)の全コンサートを聴き、強く衝撃を受ける。チケットの安さ、聴衆の集中、音楽家の自然な態度など、このときの驚きは後々まで自分のテーマとなっている。[7月]南仏の田舎町Castreでの15日間のギター講習会に参加。講師はLeo Brouwer、Alvaro Pierriの両氏。Leo Brouwer先生のクラスを受講(受講曲L.Brouwer/Decameron negroなど)。 |
1985年 |
前年の後半くらいから、ギターの演奏技能以前に自分に決定的に不足しているものがあるように感じ始め、コンサートを聴きに出かけることが増え(10ヶ月で300回を越える)、それと並行して中古LPレコードを買いあさる(約500枚)。予備知識なく聴くとき自分が一体何に感動しているのかを、まず知ろうと思った。
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1986年 |
[1月]スイスのバーゼルにてリサイタル。演奏曲J.S.Bach/Sonata pour violon seulT、M.Castelnuovo-Tedesco/Sonata、H.Villa-Lobos/12Etudes。[2月]パリ市の南の郊外Gentillyに転居。[3月]キューバのハバナ国際ギターフェスティバルにてLeo Brouwer先生のクラスを受講。ここまでの留学中、上記の先生方のほかに、A.Lagoya先生、A.Carlevaro先生、O.Ghiglia先生らのレッスンを聴講見学。[5月]さまざまなことに極端に思い悩むことが続き、いったん帰国。このときの閉塞感を言葉にするのは今も難しい。渡航以来、歴史と文化がたっぷりしみこんだ「世界」と出会い、自分の身体をいわば実験台に使うことで「人間の感性」を洞察するということを存分に追いかけることができ、毎日本当にわくわくする生活であった。その反面、ほぼ3年が経ち、豊かな芸術の美を前に、それと関わる自分の将来像が全く打ち立てられなかった。「世界」を知る自分が行き過ぎて「世界」に参加する自分から遠く離れてしまい、「自分など関わらない方が美をおとしめずにすむ」と考えていた。現在も、この考えは私の底流にある。この悩みに関しては、本質的に乗り越えた上で何らかの明るい将来像を得たわけではない。ただ、後になって、この点を暗く考えること自体、一種の思いあがりだと思えるようにもなった。[9月]大阪にてリサイタル。演奏曲J.S.Bach/Sonata pour violon seulT、M.Ponce/20 Variations sur "La Folie d'Espagne" et Fugue、H.Villa-Lobos/12Etudes。
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1987年 |
[2月]日本からのギター留学仲間とともに重奏ばかりのコンサートに参加。[9月]パリ中心部の教会の地下堂Crypte Sainte Agnesにて、自分の留学のまとめとしてのリサイタルを開催。演奏曲M.Castelnuovo-Tedesco/Sonata、J.S.Bach/Sonata pour violon seulT、F.Sor/La 2me grande Sonate Op.25-Cadenza L.Brouwer。
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1988年 |
[3月]フランスより帰国。さし当たっての収入という考えから受けた派遣会社の面接で、「あなたは音楽のために大学をやめておられる、今度行く会社もギターで収入が増えたらやめるつもりなんでしょう」との質問に「その通りです」と答えたところ、「うちでは紹介できません、帰ってください」と言われ、帰り道にやはり皆さん体を張って仕事をされているのだと、自分の甘さに気づかされ、一日も早く音楽で生計を立てねばという思いをいっそう強くした。[5月]京都市山科区に住みレッスンを始める。喫茶店にて毎月のサロンコンサート「どぅすまん(doucement)」開始。京都や大阪で多くのギター関係者と愛好される皆さんにお会いし、徐々に、自分は何も知らない浦島太郎状態にあることを痛感させられた。 |
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1989年 |
[3月]拠点を両親の住む大阪府寝屋川市に移す。家庭教師や塾講師のアルバイトを始める。結果的にこの時期は、さまざまな関心に向けて地力を蓄える期間となった。レッスンのあり方や、重奏、編曲、和声の研究などのほか、一般社会の道理ということについて、人並みに実情を知り自分の意見を持とうとした。ここからの約2年で新書版の本を300冊近く読み知識も増えた。だがそのことよりも、お会いした多くの方々から生の体験談や処世訓をお聞かせいただいたことが、面白かったし後への影響は大きい。[9月]豊中市立アクア文化ホールにてリサイタル。このときの録音がひとつのきっかけとなって、ご推薦いただいた方のご助言もあり、のちに東京の音楽企画社と専属契約を結ぶことになる。 |
1990年 |
前年のリサイタル(いわゆる大阪デビュー)以降、重奏や室内楽へと活動の幅を広げる。ギター二重奏、ギター三重奏、他楽器との共演(フルート・ピアノ・声楽ソロ・ギター合奏・シンセサイザー)など。また、これらのコンサートの企画と運営(会場探し、共同企画者との折衝、チラシやプログラムなど配布物の作成など)に積極的に関わり、心で音楽と出会えるコンサートを創るむずかしさと喜びを知った。指導活動も、学生ギタークラブの指導や楽器店でのレッスンなどへと広がった。海外ギタリストの招聘でも実績のあった潟\ティエ音楽工房と演奏活動のプロモーションに関する専属契約(〜96年)を結ぶ。この契約の期間は、30歳を挟んでの6年ということもあり、誰しもがそうであるように、実にさまざまなことを体験することになった。そのすべてを今ここで総括して総合判断を下すというわけにはいかないが、間違いなく良かったことだと思えることが、少なくともいくつかある。この間いつも「東京」のことが念頭にあったこと、内外の音楽家や音楽業界の皆様に大変緊張度の高い形でお知り合いになれたこと、そして、演奏の都度私なりの悔いのない準備ができたこと、など。 |
1991年 |
[6月]東京カザルスホールにてリサイタル。 |
… |
つづく |
北口功ギター教室・2004年6月17日〜9月26日
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